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5・新たな一歩 Page7

last update Last Updated: 2025-03-07 10:11:26

「っていうか、昨夜電話くれた時に話してくれたらよかったのに」

「ああ……、そうですね。あの時は重版の報告で頭がいっぱいでしたから」

「…………そうですか」

「それに、ちょっと厄介なことになってて。お電話だけじゃ伝わらないかな、と思ったもんで」

「……は?」

 作家の担当から外れるのって、もっと簡単なことだと思っていた。

「そんなに大変だったんですか?」

「大変というか……。結果的には、僕は蒲生先生の担当から外してもらえたんですけど。その代わりに、交換条件を出されまして」

「交換条件?」

 私は原口さんの話に眉をひそめる。

 何だか物騒(ぶっそう)な言葉が飛び出してきたなあ。無理難題をふっかけられたんじゃないといいけど……。

「はい。僕に、『〈ガーネット〉のレーベルそのものから外れろ』と、蒲生先生が」

「そんな……! 横暴(おうぼう)じゃないですか、そんなの!」

 自分が言われたことでもないのに、私は大憤慨した。

 いくらベテランだからって、いち作家に出版社の人事にまで口を出す権限はない。それも、ただのワガママで。

「島倉さんは何もおっしゃらなかったんですか? 上司なのに」

 島倉さんは部下思いの編集長だ。原口さんがパワハラを受けていたのに、その場にいて何も言わなかったとは考えにくいけど。

「一応、僕のことを庇(かば)っては下さったんですけど、結局は力及(およ)ばなかったみたいで……。『最後まで庇えなくて申し訳ない。でも君は何も悪くないから』とおっしゃってました」

「そうですか……。じゃあ、もう決定なんですね? 原口さんが〈ガーネット〉から異動になるのって」

 とどのつまりは島倉さんもただのサラリーマン、しかも作家ファーストの出版業界の人なのだ。作家が下した決定は、そう簡単には覆(くつがえ)すことができないんだろう。

「まあ、そうなりますね。ですが、僕は今度の異動を機(き)に、新レーベルを立ち上げることにしたんです。――もちろん、島倉編集長のGOサインも頂いてます」

「新……レーベル?」

 原口さんてば、落ち込んでいるどころかすごくポジティブだ。というか〝新レーベル〟って……、なんかすごい話になってきたぞ?

「そうです。名前は〈パルフェ文庫〉。〈ガーネット〉とは違い、文庫での刊行のみで、電子版も同時に配信されるという、若手の先生にメインで活動して頂くレーベルになりま
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    Last Updated : 2025-03-07
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    Last Updated : 2025-03-10
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    Last Updated : 2025-03-10
  • シャープペンシルより愛をこめて。   5・新たな一歩 Page14

    「――やっぱり、私の生(お)い立ちとか作家デビューまでの経緯は書くべきだよね。あとは恋愛遍歴(へんれき)と、私がいつもどんな風に原稿を書いてるか……かな」 書きたいことの大まかなテーマを、呟きながらプロット用のノートに箇条(かじょう)書きでメモっていく。ここからさらに取材を重ね、プロットを作るのだ。 原口さんに電話で「どんなことを書けばいいですか?」と訊いたら、彼の答えはこうだった。『内容は先生にお任せしますので、お好きに書いて下さい。……ああでも、一応恋愛モノメインのレーベルなんで、恋愛絡みの内容を入れて下さった方が……』 ―― そう言われても、二十三年間ろくな恋愛をしてこなかった私には、読者が喜んで飛びつくようなトピックスがほとんどない。 となると、読者の興味を引く内容は筆者である私自身の私生活や創作にまつわるエピソード……だろうか。 私がシャープペンシルで執筆していることは、実は読者さん達にはあまり知られていない(由佳ちゃんみたいに個人的に親しい間(あいだ)柄(がら)の人は知っているけれど)。今どきの若者でもある私がこんなアナログ作家だと知ったら、読んでくれた人はビックリするだろうか……?「そうだ!」 そう思った時、このエッセイのタイトルがフッと降(お)りてきた。 見ただけでネタバレになりそうなタイトルだけれど、これ以外にピッタリはまるタイトルはないんじゃないかっていうくらい、内容にマッチしていてしっくりくる。「うん、いい! タイトルはこれに決定」 私は独断(どくだん)だけで決定したばかりのタイトルを、メモ書きのページの冒頭(ぼうとう)に書き込んだ。 本当は原口さんと相談してから決めるべきなのかもしれない。でも、それをしなかった理由は、このエッセイを彼へのメッセージにしようと思っているから。 これを書き上げたら、原口さんに告白しよう。――私はこの仕事を引き受けた時から、そう決心していたのだった。

    Last Updated : 2025-03-10
  • シャープペンシルより愛をこめて。   6・伝えたい想い Page1

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    Last Updated : 2025-03-10

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  • シャープペンシルより愛をこめて。   後日談・二ヶ月後…… Page17

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  • シャープペンシルより愛をこめて。   後日談・二ヶ月後…… Page16

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    「いえ、僕もつい今しがた来たところですから」「あ……、そうでしたか」 TVでもよく見かけるイケメンさんに爽やかにそう返され、私はすっかり拍子抜け。――彼が敏腕(びんわん)映画プロデューサー・近石祐司さんだ。「先生、とりあえず冷たいお茶でも飲んで、落ち着いて下さい」「……ありがとうございます」 原口さんが気を利かせて、まだ口をつけていなかったらしい彼自身のグラスを私に差し出す。……私は別に、彼が口をつけていても問題なかったのだけれど。 ……それはさておき。私がソファーに腰を下ろし、お茶を飲んだところで、原口さんがお客様に私のことを紹介してくれた。「――近石さん。紹介が遅れました。こちらの女性が『君に降る雪』の原作者の、巻田ナミ先生です。――巻田先生、こちらはお電話でもお話しした、映画プロデューサーの近石祐司さんです」「巻田先生、初めまして。近石です」「初めまして。巻田ナミです。近石さんのお姿は、TVや雑誌でよく拝見してます。お会いできて光栄です」 私は近石さんから名刺を頂いた。私の名刺はない。原口さんはもう既に、彼と名刺交換を済ませているようだった。「――ところで原口さん、さっき『君に降る雪』って言ってましたよね? あの小説を映画化してもらえるってことですか?」 その問いに答えたのは、原口さんではなく近石さんの方だった。「はい、その通りです。

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       * * * * ――翌朝、原口さんはバイトに出勤する私に合わせてわざわざ早く起きてくれたので、一緒に朝ゴハンを食べた。今日のメニューは白いゴハンに焼き鮭(ざけ)、キュウリとナスの浅漬け、そしてきのことカボチャのお味噌汁。秋が旬の食材をふんだんに使ったメニューだ。 たまには洋食の朝ゴハンにしようかとも思うのだけれど、原口さんは和の朝食がお好みらしい。「――そういえば、ナミ先生って和食以外もよく作るんですか?」 ゴハンをお代わりしながら、彼が訊いた。……あ。そういえば彼がウチで食べる料理ってほとんど和食だ。洋食系のメニューって食べてもらったことあったっけ?「うん、作りますよ。中華とかカレーとかも。でも、さすがにハヤシライスは作ったことないなあ」 昨日のデートで、彼と一緒にカフェで食べたハヤシライスはおいしかった。……でも、自分で「作ってみたい」とまでは思わない。私は創作の面では結構攻めるタイプだと思うけれど、どうも他の面では守りに徹(てっ)するタイプみたいだ。 そういえば恋愛でもそうだった。原口さんのことが好きだと気づいた時だって、自分からはグイグイ行かなかった……と思うし。「――僕、ナミ先生が作ってくれる和食大好きなんですけど。たまには洋食系のメニューも食べてみたいなあ……なんて。……すみませ

  • シャープペンシルより愛をこめて。   後日談・二ヶ月後…… Page10

       * * * * ――結局、彼はやっぱり泊っていくことになった。 洗い物を済ませてから二人で交代に入浴し、寝室で甘~~い時間を過ごしたら、私は無性に書きたい衝動(しょうどう)にかきたてられた。「――ゴメンなさい、原口さん。私、これからちょっと仕事したいんですけど。机の灯りつけてても寝られますか?」 私が起き上がると、彼は「仕事って、執筆ですか?」と訊き返してくる。「そうです。眩しいようだったら、ダイニングで書きますけど」「いえ、僕のことはお気になさらず。……ただ、明日出勤でしょ? あんまり遅くまでやらないようにして下さいね」「うん、ありがとうございます。キリのいいところまでやったら、適当に寝ます。だから気にせず、先に寝てて下さい」 私はベッドから抜け出して、部屋着の長袖Tシャツの上からパーカーを羽織り、机に向かった。書きかけの原稿用紙を机の上に広げ、シャープペンシルを握る。 ノートパソコンは、相変わらずネットでしか稼働(かどう)していない。タイピングの練習は、時間が空いた時だけやっている。でも、パソコンで執筆する気にはやっぱりなれない。 原稿を書きながら、数時間前に観た映画のラブシーンとついさっきまでの彼との濃密(のうみつ)な時間を思い出しては、一人で赤面していた。私が書いている恋愛小説は濃厚(のうこう)なラブシーンが登場するようなものじゃなく、主にピュアな恋愛を描いているものがほとんどなのだけれど。 私の恋は、小説やTVドラマや歌の世界を地(じ)でいっている気がする。 潤のことも、もちろん本気で好きだった。だから、「小説家なんかやめろ」って言われてすごく傷付いたんだと思う。「どうして好きな人に応援してもらえないの?」って。 でも、原口さん相手ほどは燃えなかったなあ。こんなにどっぷり好きになった相手は、多分彼が初めてだ。そして、ここまで愛されているのも。 だって彼は、私のことを丸ごと愛してくれているから。私のダメなところも全部認めてくれて、決して貶さないし。……こんなに出来た彼氏は他にいないと思う。 ――集中してシャーペンを走らせ、原稿用紙十五枚を一気に書き上げると、時刻は夜中の十二時過ぎ。いつの間にか日付が変わっていた。「ん~~っ、疲れたあ! そろそろ寝よ……」 私はシャーペンを置き、思いっきり伸びをした。ふと、後ろのベッド

  • シャープペンシルより愛をこめて。   後日談・二ヶ月後…… Page9

    「――さて、と。まだ時間も早いですけど、DVDでも観ます?」 私はソファーから立ち上がると、ミモレ丈(たけ)のデニムスカートの裾を揺らしてTVラックの所まで行き、彼に訊ねる。 今日は映画を観てきたけれど、この部屋の中での時間の潰し方は限られる。TVを観るか、DVDを観るか、仕事するか。それとも…………。「いいですけど。ちなみに、どんなジャンルですか?」「ワンパターンで申し訳ないんですけど、恋愛映画……。洋画と邦画、どっちもありますけど」 これでも恋愛小説家である。他の作家さんの恋愛小説だけでなく、時にはコミックやTVドラマ・映画などを作品の参考にすることもあるのだ。そういう意味で、恋愛映画のDVDは資料としてこの部屋には豊富に揃(そろ)っている。「じゃあ……、邦画の方で」「了解(ラジャー)☆」 私が選んだのは、〝恋愛映画のカリスマ〟と名高い若手映画監督がメガホンをとった映画。今日観て来た映画とは違う、ドラマチックな演出をすることで有名な人の作品だ。 ――でも見始めてから、この作品を選んだことを後悔した。「「わ…………」」 途中で際(きわ)どいラブシーンが流れて、何となく気まずい空気になったのは言うまでもない。 あまりにも生々しすぎるラブシーンを直視できず、TV画面から視線を逸らしてチラッと隣りを見遣れば、原口さんは瞬(まばた)きひとつせずに画面に釘付けになっていた。 ……目、大丈夫かな? ドライアイにならない? 私は彼の顔の前に手をかざして上下に動かしてみる。「お~い、起きてますかぁ?」「…………ぅわっ!? ビックリした!」 ハッと我に返った彼のガチのビックリ顔がおかしくて、私は思わず吹き出した。「ハハハ……っ! めっちゃ見入ってましたねー」「スミマセン」 お家デート中に彼女の存在そっちのけで映画に見入っちゃうなんて、なんて彼氏だ。……まあでも、面白いものが見られたからよしとしよう。「――あ、終わった。ちょっと刺激強すぎたかな……」 映画は二時間足らずで終わった。プレイヤーから出したディスクをケースに戻し、次に観る時はもう少し刺激の少ない映画にしようと思った。「お風呂のお湯、入れてこようっと。――先に入りますか?」 この調子だと、今日も彼はこの部屋に泊まっていくことになりそうなので、私はバスルームに向かいがてら彼に訊ね

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